2008年04月11日
ハンセン病の歴史
さてこの問題解決方法はどこにあるのでしょうか
古くは、イイギリ科 Hydnocarpus 属(APG植物分類体系ではアカリア科に移動)に属する何種類かの植物の種子である大風子の種皮を除いてから圧搾して得た脂肪油である大風子油が用いられていた。これに含まれるヒドノカルプス酸とチョールムーグラ酸という不飽和環状脂肪酸にライ菌の成長阻害作用があるためである。搾油直後には白色の軟膏様の性状を示し無味無臭であるが、次第に黄色に変化して特有のにおいと焼きつくような味を生じ、これ自体、あるいは有効成分の脂肪酸のエチルエステルを注射薬として用いた。しかし、効果が乏しくハンセン病は不治の病とされていた。
1941年にアメリカのファジェット(Guy Faget)は、もともと結核治療薬として開発されたプロミン®を患者に実験的に使用を開始した。プロミンは、ジアフェニルスルホン (DDS: Diamino Diphenyl Sulfone) に、ブドウ糖と亜硫酸水素塩を縮合させて水溶性にした化合物である。その後、1943年にハンセン病に対するプロミン療法がアメリカの医学雑誌で紹介された。しかし、プロミンは毒性が強く注射製剤のみの使用に限られるという欠点があった。そのため、これを精製して有効成分(DDS)のみを取り出したものが作られた。ダプソン(Dapson)(ダイヤゾン®・プロミゾール®)と呼ばれ、経口投与を行う。
日本は当時、太平洋戦争の戦時中であったため、プロミン®の情報は、中立国スイスからドイツの潜水艦によって伝えられた。戦後の1946年、東京大学薬学部教授の石館守三がプロミン®の合成に成功し、1947年には、日本癩学会でプロミン治療に関する研究発表が行われた。よって、アメリカの発表から4年も経って、やっと国内のハンセン病患者がプロミン®という特効薬について知ることとなる。ハンセン病治療薬の開発研究に関しては、以前の経験により患者間に不信感があったが、最初の著名な効果は石館自身により、シベリア帰りの兵士の症状の劇的な改善が記載されている。その後、厚生省は各療養所に薬を配布するが、療養所幹部の中には効果に懐疑的であったり隔離政策の崩壊を危惧するなどの理由で使用制限され、患者の手元にはなかなかいかなかった期間がある。そして、1949年より予算が計上され、少しずつ薬が普及していった。
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